LIFE-HEART MESSAGE
『教養』の美学
Life-Heart Message.  2008.03.03.


 今日の大きな問題として、大学や学問をとりまく外的状況が著しく変化してきている。
市場経済原理がいっきに学問の世界に入り込み、学問はサービス産業へと姿を変え、
高等遊民は知識サービスの小売業者へと姿を変えられつつある。
成果主義と補助金によって、社会にすぐに役立つ研究だけが重視されるようになって来た。

目にみえる成果をあげろ、という号令のもとに、多少、息の長い、また地味な研究が
ほとんど不可能になりつつある。
そのなかでもっとも深刻な問題は、あらゆる学問の基底をなすはずの、基礎的な思考や
発想や問題への感受性をやしなうことができなくなってきている。
その基底にあるものこそ,本来の『教養』と呼ばれたものである。

 教養はその国の文化と深くかかわり,日本人が教養をもてるかどうかは日本文化の
質の問題になってくる。

岡 潔先生は、『数学さえ、その国の文化や美意識と決して無関係ではない』という。
それどころか、『文化のセンスや美意識がなければ数学などできない』という。
自分たちはいかなる文化のなかにいて、いかなる美というものを引き受けているか、
そこで自分たちが受け止めた『美しさ』とは一体何なのか、その無意識に育てられる
感受性や感性こそが数学に必要なのである。

たとえば、文化と不可分なその国の言葉『国語』への感受性、愛着、それを大事にしようとする
感性がなければ、数学というグローバルな抽象的学問はうまくいかないという。

この『国語』のもうひとつ先にあるものは『心』である。日本語には『こころが通じる』
という言い方があり、英語にはないが、強いていえば、「シンパシー」に近い。

言葉でのコミュニケーションではなく、言葉以前のところで意思疎通が成り立つもの、
言葉を生み出す何かがあって、その何かが共有されている、という感覚である。

『文化』とは“cultivate”『耕す』という意味で『土地に根ざす』ものである。
『教養の衰退』とは、学問が故郷喪失に陥っている、ということであり、
『故郷を失った学問』こそが今日の深刻な問題である。

『知』や『情』や『意』は真空状態で生み出されるものではなく、故郷の大地によって
養われるものである。
歴史の重みのなかから少しずつ何かを生み出す文化の力は『都市的なもの』にはない。
問題は『文化』が『文明』に変貌していることである。学問は、『教わる』ものではなく、
『学ぶ』ものであり、『学び』かつ『問う』ものである。
自らの『問い』を立て、そのために『学び』、そして、思索を深めることである。
知識のグローバリズムや、覇権主義、競争主義や成果主義がますます拍車をかけている
現代にあって、いかにして、人間生命の内面の感受性を取り戻すか、これからの学問の
重要な課題である。

日本の学問は、日本人が自分のなかに宗教観や歴史観、美意識があることを見出して、
それを『知』というものの拠点にすることから始めるほかないのである。
学問には『故郷』はどうしても必要なのである。

 マシュー・アーノルドは言った・・・『教養とは、この世でいままでに語られ、かつ考えられる
もっともよいものを知ることだ。』・・・


未来創庵 一色 宏