LIFE-HEART MESSAGE
『公正』の美学
Life-Heart Message.  2008.02.25.


 1809年2月12日、ケンタッキー州ハーデイ郡の奥地の農場の丸太小屋で貧しい開拓農民の子
として生れたリンカーン。
父トマスは放浪して働き、教育はなく、自分の名前がやっと書ける程度であった。
リンカーンが学校にいったのは、合計1年にも満たなかった。
開拓・農業手伝い、渡し船の水夫、雑貨商の店員、商店経営、測量技師助手、郵便局長など
様々な職業を経験する。

23歳の時、イリノイ州議会の下院議員に立候補するが落選。この時の立候補演説に
「・・・私は極貧の家に生れ、その後もずっと、人生の険しい道をたどって来ました」
とあるように、貧窮と屈辱によって悲しく彩られていたことがわかる。

 落選から2年後に当選し、独学で弁護士資格を取得して翌年開業する。
連邦下院議員を得て、1861年、第16代大統領に就任。
52歳の時である。
1861年4月、南部連合の砲撃で開始された『南北戦争』は国中が真っ二つに割れたこの内戦は、
経済力・工業力と精神・文化の総力戦であった。

その犠牲者は北軍36万人、南軍26万人の合計62万人【第1次世界大戦死者12万人、
第二次世界大戦32万人、ベトナム戦争6万人】当時、連邦側23州2千2百万人、
南部11州9百万人(白人5百50万人、黒人3百50万人)計3千100万人であったから、
多大な死者を出したといえる。

南北戦争を指揮したリンカーンは、1863年1月奴隷解放令出し、11月に史上名高いゲテイスバーグで
演説、全271語、わずか3分間の演説は、宗教的世界観と民主主義的世界観の絶妙な融合であった。
『人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため』の最後結語は
あまりにも有名である。

南北戦争に勝利して国家分裂の危機を救い、奴隷を解放したリンカーンの偉大さは、
アメリカ民主主義に崇高な道徳性を付与したことであった。

 今日のアメリカに特有な悪癖の一つは、敵と味方を峻別し、善悪二元論の世界観に立って、
敵とみた相手を徹底的に排除しようとする偏狭な正義感にある。
第二次世界大戦末期、日本を『獣』(ケダモノ)と呼んでいたトルーマン大統領は
『獣は獣として取り扱うべきだ』として、広島と長崎への原爆投下を指示した。
この人類史に長く記憶される行為には、今日に至るまで正式な謝罪はない。

 1864年、再選まもないリンカーンは1865年4月14日ワシントン・フオ―ド劇場で夫人と
観劇中、ピストルで撃たれ、翌日死去。
24日前、リンカーンの第二次大統領就任演説には『なんびとにたいしても悪意をいだかず、
すべての人に慈愛をもって、神がわれわれに示し給う正義に堅く立ち、われらの着手した事業を
完成するために、努力をいたそうではありませんか。
国民の創痍(ソウイ)を包み、戦闘に加わり斃(タオ)れた者、その寡婦(ヤモメ)、その孤児を援助し、
いたわるために、わが国民の内に、またすべての諸国民との間に、正しい恒久的な平和を
もたらし、これを助長するために、あらゆる努力をいたそうではありませんか』

遺言ともいうべき永遠不変の価値を有するこの演説は、ゲテイスバーグの演説以上に、
公正・慈愛・正義・平和という民主政治の崇高な理念を語っている。
・・・・・・そこには、敵対者に対する全面否定『憎悪の政治』はない。


未来創庵 一色 宏