LIFE-HEART MESSAGE
『雪』の美学
Life-Heart Message  2007.10.17.(6)


雪は月、花と並んで日本の詩歌の古典的主題として最も有名なものの一つであった。


「万葉集」に「我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」という
大伴旅人の歌がある。

自分の庭に梅の花が散っている、まさにそのときに、天からは雪が流れて来ている。
という歌である。
が、これは風花の状況ではないかと考えられる。

梅の花の散る美しさのなかに、その香りが匂ひ立って来るのと対照的に歌ったもので、
白梅の花びらが雪の一片々々にまざり合って地に吹かれ落ちていく冬の宇宙的なさびしさの
歌であろう。

この歌を受けた作に「古今集」によみびと知らずの冬の歌として、「梅の花 それとも見えず
久方の 天霧る雪の なべて降れれば」という作品がある。

少し時代が下がって、「新古今集」に藤原俊成の雪を歌った秀抜の名歌がある。

「雪降れば 峰のま榊 埋もれて月にみがける 天野香具山」雪が降り香具山の峯の
常緑のさかきの木も雪に埋もれ照る冬の夜の満月の光に磨かれ、天の香具山全体が玉のように
神々しく輝いている。

ここには月と雪の美の風景があり、見事な晶質の寒気と荘厳な静寂の世界を歌っている。
いろいろと雪の歌を探してみると、見事な雪の歌ほど、何か花や月と一つになっている
光景の場合が多い。

例えば「空はなほ かすみもやらず 風冴えて 雪げに曇る 春の夜の月」 
「あさぼらけ ありあけの月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪」がある。

また芭蕉の句にも雪見の句があり、「奥の細道」には「漂泊の思いやまず」と言って、
さすらひのあこがれがやまず、この世からの超越を求めた芭蕉の旅は、自然の季節の
精華を見にゆく旅であり、もののあわれを求めての旅であった。
日本では古来、富士山が聖なる山と言われ、その麗峰は久遠の雪のゆえに尊ばれ、
古人云く「富士山高うして雪消えず」と云り。

「至りて高きは深き也。高は限りあり。
深は測るばからず。
然は、千山の雪、一峰白からざる深景、寵深花風に当たる歟。」

「雪を銀?裏に積みて、白光清浄なる現色、誠に柔和なる見姿、閑花風と云べき歟。」

このようにして、雪は幽玄の一契機として象徴されている。
現代の日本人は雪をどう見ているだろうか。

雪は交通をマヒさせ、雪崩で住居を流し去り、吹雪で旅人を迷わせる。

北国では白魔は人の妨害者なのである。

しかし、それでも多くの人々は、雪を美しいと思うと言う。

この世の濁りを純白の衣装で包もうとする清浄なものの代表、潔めの色、なぜか雪は
人の心を温め、私たちの心にしみいる。

唐中期の詩人、季白は「雪月花の時最も君を憶う」と謳った。

雪氷学の開拓者、中谷宇吉郎氏は「雪は天から送られた手紙である」と詩的な言葉で
表現している。

激励の詩人の歌に「壮厳な鎧を着せる白雪の富士の如くに 君もかくあれ」心に期す雪の日に


未来創庵 一色 宏